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大分地方裁判所 昭和61年(ワ)708号 判決 1993年12月21日

原告

下薗勲

下薗ハルノ

右両名訴訟代理人弁護士

柴田圭一

安東正美

被告

池田倍己

右訴訟代理人弁護士

中山敬三

岩﨑哲朗

被告

安部慶子

右訴訟代理人弁護士

三井嘉雄

被告

鶴田勝美

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一  原告らの請求

一  原告下薗勲に対し、

1  被告池田倍己は、一七四八万〇五六〇円及びうち一五九八万〇五六〇円に対する訴状送達日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告安部慶子及び被告鶴田勝美は、連帯して、一六一九万五〇七〇円及びうち一四七九万五〇七〇円に対する各訴状送達日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告下薗ハルノに対し、被告らは、連帯して、三三〇万円及びうち三〇〇万円に対する各訴状送達日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件事故の発生

昭和五六年一二月二〇日(日曜日)二〇時過ぎころ、大分県別府市若草町一三四番地パチンコ店ジャンボタイホー前路上(「本件事故現場」という。)において、被告池田は、被告安部を助手席に、四男有利(当時九才)を後部座席に同乗させ、日出方面から大分方面に向け普通乗用車(大分五六た九二〇一。以下「池田車」という。)を運転していたが、過失により、普通乗用車(タクシー。大分五五あ七二五四。以下「本件タクシー」という。)に追突させる事故(以下「本件事故」という。)を発生させた。

二  供述の対立と原告勲に対する誣告被告事件の無罪判決の確定

本件事故時、原告勲が本件タクシーに乗っていた(流し運転中であった)かどうかにつき、これを肯定する原告勲と、これを否定する被告池田、同安部及び目撃者と称する鶴田との間で供述が対立した。

そこで、原告勲は、昭和五七年二月一〇日、被告池田を業務上過失傷害罪で別府警察署に告訴したところ、同年三月八日、同警察署警察官から、誣告容疑で逮捕され(以下「本件誣告被疑事件」という。)、大分地方裁判所裁判官による勾留請求却下の裁判を経て、同月一二日、釈放されたが、同年七月二〇日、大分地方検察庁検察官により、誣告罪で右裁判所に起訴された(以下「本件誣告被告事件」という。)。以後も、被告らは前同様の供述、証言等を繰り返したが、右裁判所は昭和五九年六月一九日、原告勲に対する無罪判決を宣告し、控訴審の福岡高等裁判所も昭和六一年一月二八日控訴棄却の判決を宣言し、検察官の上告がなく、原告勲の無罪が確定した。

〔右一、二の事実は、原告ら並びに被告池田及び被告安部の各主張及び<書証番号略>より認められる。〕

三  本訴請求

1  原告勲は、被告池田に対し、同被告の池田車運転上の過失に基づき発生した本件事故により被った損害(人損)賠償を、

2  原告勲及びその妻原告ハルノは、被告らに対し、本件誣告被疑、被告事件による原告勲の逮捕、起訴は、被告らの虚偽の供述、証言に基づくと主張して、それにより原告らが被った損害賠償を、

それぞれ請求する。

第三  争点

一  本件事故時、原告勲は本件タクシーに乗っていた(流し運転中であった)か(争点1)。

1  原告らの主張

原告勲は、本件タクシーに乗務し、別紙(1)の図面(<書証番号略>に添付の図面)に表示の日出町(ほぼ北)方面から大分市(ほぼ南)方面に向けて時速四〇キロメートルで流し運転しながら、本件事故現場付近にさしかかった際、進路前方左側(東側)歩道上に老齢の男女二人連れを認め、両名が乗車するかもしれないと考え、漸次減速し、歩行速度並みにして近づいたが、両名が乗車する素振りをみせなかったので、乗車の意思がないのかなと考えていたところ、同図表示地点で、後方より進行してきた池田車に追突された。追突直後、原告勲は、腰、首筋、背中に電気が走るようなビリッとした衝撃を受けたので、しばらくして車外に出、被告池田と事故処理を巡って話し、やがて到着した別府警察署警察官らによる実況見分が始まると、同被告は同原告が同タクシーに乗っていなかったと虚偽の供述をした。

以後、同被告のみならず、被告安部及び目撃者と称する被告鶴田も、被告池田と同旨の虚偽の供述、証言等に終始した。

2  被告池田、安部の主張

被告池田は、本件事故後、直ちに池田車を降り、止まっている本件タクシー運転席右横に行って同タクシー内を覗いたが、誰も乗っていなかった。しばらくして、原告勲が同タクシー脇の(東側)歩道上から現れ、その後到着した警察官らの実況見分が始まると、本件事故時、同原告は同タクシーに乗っていたと虚偽の供述をし始め、以後、同旨の供述に終始した。

二  本件事故時、原告勲が同タクシーに乗っていたとして、被告らの供述と、本件誣告被疑事件による原告勲の逮捕、本件誣告被告事件の起訴との間に因果関係があるか(争点2)。

1  原告らの主張

本件誣告被疑、被告事件による原告勲の逮捕、起訴は、被告らの虚偽の供述に基づくものである。

2  被告池田、安部の主張

警察官及び検察官らは、いずれも、同被告らの供述のみならず、被告鶴田の供述その他の証拠を総合的に判断した結果、原告勲を、警察官は、誣告被疑事件として逮捕し、検察官は、誣告被告事件として起訴したのであるから、右逮捕、起訴と同被告らの供述との間には相当因果関係がない。

三  原告らの損害に関する原告らの主張(争点3)

1  原告勲は、本件事故により、頸部腰部捻挫の傷害を受け、本件事故後、直ちに別府中央病院で診察を受け、翌二一日野上外科医院で診察を受け、同年一二月二二日から昭和五七年二月四日まで入院し、退院後、同年三月末日まで通院し(通院実日数合計二五日)、その結果、左記損害(人損)を被った。

(一) 治療費 三万六二〇〇円

(二) 雑費 三万一五〇〇円

(三) 休業損害 四一万七七九〇円

(四) 慰謝料 七〇万〇〇〇〇円

(五) 本訴の弁護士費用 一〇万〇〇〇〇円

計一二八万五四九〇円

2  被告らの虚偽の供述、証言等により、三年一〇か月間、原告勲は被告人の座に、原告ハルノは被告人の妻の座に座らせられ、その間、原告勲は、昭和五七年三月二五日付けで、同月末日限り勤務先の別府観光交通株式会社(以下「観光交通(株)」という。)から懲戒解雇されて収入を絶たれたほか、原告勲は、本件誣告容疑で逮捕されたことが新聞、テレビで報道されて、地域住民から犯罪者視され、自己の無実を立証するために証拠の収集を余儀無くされるなど、物理的、精神的に大変な苦痛を強いられ、原告ハルノは、夫が収入を絶たれ、経済的に苦痛を強いられたほか、夫が犯罪者として報道されたことから、地域住民から犯罪者の妻と見られ、夫の無実を明らかにすべく証拠の収集に奔走するなど、物理的、精神的に大変な苦痛を強いられた結果、左記損害を被った。

(一) 原告勲

(1) 刑事裁判関係費用 一〇七万五〇七〇円

(2) 刑事弁護人費用 一七二万〇〇〇〇円

(3) 慰謝料 一二〇〇万〇〇〇〇円

(4) 本訴の弁護士費用 一四〇万〇〇〇〇円

計一六一九万五〇七〇円

(二) 原告ハルノ

(1) 慰謝料 三〇〇万〇〇〇〇円

(2) 本訴の弁護士費用 三〇万〇〇〇〇円

計三三〇万〇〇〇〇円

3  結論

よって、

(一) 原告勲は、

(1) 被告池田に対し、右1及び2、(一)の合計一七四八万〇五六〇円及びこれから右1、(五)及び2、(一)、(4)の各弁護士費用を差し引いた一五九八万〇五六〇円に対する同被告に対する訴状送達日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう

(2) 被告安部及び被告鶴田に対し、連帯して、右2、(一)の一六一九万五〇七〇円及びこれから右(一)、(4)の弁護士費用を差し引いた一四七九万五〇七〇円に対する各被告への各訴状送達日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を払うよう

(二) 原告ハルノは、被告らに対し、連帯して、右2、(二)の三三〇万円及びこれから(2)の弁護士費用を差し引いた三〇〇万円に対する各被告への各訴状送達日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう

それぞれ請求する。

四  被告鶴田は、原告らの請求原因事実をいずれも争う。

第四  証拠関係<省略>。

理由

第一はじめに

原告らの本訴請求は、いずれも不法行為に基づく損害賠償請求であり、その当否は、まず、争点1に関する原告らの主張は本件事故時、原告勲が本件タクシーに乗っていた(具体的には、タクシー運転手として流し運転中であって、本件タクシーを駐、停車させていなかった)ことが認められるかどうかに帰着するところ、その証明責任は原告らが負担するものである(この点で、刑事裁判である本件誣告被告事件において、本件事故時、原告勲が本件タクシーに乗っていたことについての証明責任を検察官が負担する(<書証番号略>)こととは異なる。)ところ、本件全証拠中の原告勲及び被告らの各供述内容(必要に応じ後述する。)は、争点1についての双方の主張に即しているので、証明責任の見地から、同争点についての原告勲の供述が客観的に正しいといえるかどうかにつき検討する。

第二本件事故現場付近の概略及び本件事故直後の車両の位置関係

<書証番号略>によれば、次のとおり認められる。

一本件事故現場付近の概略

本件事故現場付近の概略は、別紙(1)の図面及び別紙(2)の図面(<書証番号略>に添付の図面)に表示のとおりである。

すなわち、本件事故現場は、日出(ほぼ北)方面から大分(ほぼ南)方面に走る国道一〇号線(アスファルト舗装のほぼ直線の、平坦な、歩車道の区別のある、車道幅員22.1メートル、片側三車線(各歩道端から0.7メートルの幅員で外側線、次いで、幅員が3.1メートルの外側車線(以下「第一車線」という。)、3.2メートルの中央車線(以下「第二車線」という。<書証番号略>によれば、東側車線上の第二車線の幅員は3.4メートルとなっているが、この違いは重要でないので無視する。)、3.3メートルの内側車線(以下「第三車線」という。)が順次標示され、道路中央には1.5メートル幅のグリーンベルト地帯(高さ約0.9メートルの植物の植え込み)があり、制限時速四〇キロメートル、駐車禁止の各交通規制があり、東側車線側に幅員3.6メートルの西側車線側に幅員3.8メートルの各歩道がある。))上の東側車線上の第一車線(以下「本件第一車線」という。)上である。

本件事故現場付近は、市街地であり、照明のため明るい。

二本件事故発生直後の車両の位置関係

池田車は、本件第一車線上を別紙(1)の図面表示の①→②→③の順に走行し、③地点で自車左前部を本件タクシー右後部地点に追突させ、同タクシー(車幅1.64メートル。<書証番号略>)は、追突後、東側歩道端から1.4メートル離れた場所(第一車線上のほぼ中央付近)に止まっていた。

第三本件事故発生後の事実経過

次の証拠により、一ないし一三の事実が認められる。

<書証番号等省略>

一本件事故直後の原告勲と被告池田の会話

本件事故直後、本件タクシー及び池田車の車外で、原告勲と被告池田は顔を合わせ、互いに顔見知りの間柄であることが分かり、同被告は同原告に全面的に弁償する旨を言い、同原告は同被告に免許証の点数は大丈夫かと聞き、同被告は点数は満点あると返事するなどの言葉を交わし、同時に、同被告は、同原告に対し、対人、対物の保険に入っており、保険で事故処理をしたいから、同原告の勤務先の事故係に電話して欲しいと言った(<書証番号略>)。

二原告勲による勤務先への第一報

本件タクシーは無線車ではなかったので、同原告は、本件事故現場から大分方面寄りに約97.2メートル離れたラーメン店一五万石(<書証番号略>。別紙(2)参照。同店は、同原告が昼食に時々利用していた店である。)内にある公衆電話まで歩き、同電話を使用して、大分県別府市北浜三丁目六番三〇号所在(<書証番号略>)にある自己の勤務先の観光交通(株)あて本件事故を通報して、本件事故現場に引き返した。

〔後日の実況見分で再現した結果、本件事故現場から右ラーメン店までの所要時間は一分二七秒であった(<書証番号略>)。〕

三配車指令係今村の受信

同原告は、電話口に出た配車指令係の今村政治に対し、本件事故現場で追突事故に遭った旨報告しただけで、怪我については一切話さず(<書証番号略>)、本件事故現場に引き返し、本件タクシー運転席に乗り込んだ。

〔後日の実況見分で再現した結果、今村が原告勲から本件事故報告の電話を受けていた所要時間は二〇秒であった(<書証番号略>)。〕

四配車指令室長佐藤幸雄から幹部宅への連絡

右三の電話の内容を知った当日の配車指令室長の佐藤幸雄は、本件事故報告のため同社幹部宅二名に電話を入れたが、電話に出た妻から、いずれも不在を告げられ、電話を切った。

〔後日の実況見分で再現した結果、今村が原告勲から本件事故報告の電話を受けてからの所要時間は二分五秒であった(<書証番号略>)。〕

五佐藤幸雄から奈須君登への指示

次いで、佐藤は、係員の奈須君登に対し、本件事故現場に行くよう指示した(<書証番号略>)。

〔後日の実況見分で再現した結果、今村が原告勲から本件事故報告の電話を受けてから、奈須が同社を出発するまでの所要時間は約三分一七秒であった(<書証番号略>)。〕

六奈須の本件事故現場への到着

奈須は、直ちに、観光交通(株)の指導車に乗って同社を出発し、約1.3キロメートル離れた(<書証番号略>)本件事故現場に駆けつけ、別紙(1)の本件タクシー脇の東側歩道上に指導車を止めた。

〔後日の実況見分で再現した結果、奈須が、同社から本件事故現場に到着するまでの所要時間は、約三分一〇秒(今村が原告勲から本件事故報告の電話を受けてからは、約六分二七秒経過していた。)であった(<書証番号略>)。〕

七奈須から観光交通(株)に対する警察署への事故届出依頼

奈須は、指導車を降り、本件タクシーの後方で池田車との間に散らばっていたガラスの破片を片づけていた被告池田を見やりながら、駐車中の同タクシー運転席に戻っていた原告勲の所に行き、同原告から腰や首が痛い旨の報告を受けたので、交通事故として警察署に届け出た方がよいと考えて指導車に戻り、無線で観光交通(株)に対し、警察署への届出を依頼した。その時の時刻は二〇時一二分(<書証番号略>)であった。

〔後日の実況見分で再現した結果、奈須が、本件事故現場に到着してから、無線で同社に連絡するまでの所要時間は四四秒であった(<書証番号略>)。〕

八佐藤幸雄の警察署への事故届け出

佐藤幸雄は、直ちに、別府警察署に本件事故を届け出たが、同警察署受信者の白石巡査が「電話受付用紙」に記載した受信時刻は二〇時一三分(<書証番号略>)であった。

〔後日の実況見分で再現した結果、佐藤が奈須から無線を受信して、別府警察署に連絡するまでの所要時間は一五秒(今村が原告勲から本件事故報告の電話を受信してから七分二六秒経過)であった(<書証番号略>)。〕

九原告勲と被告池田の口論の始まり

奈須は、被告池田が観光交通(株)の得意先であることを知り、示談で片づけようと同被告に、原告勲が腰や首が痛いと言っていることを告げると、同被告は、本件タクシーに同原告は乗っていなかったと主張し、同タクシーから降りてきた同原告との間で、同原告が同タクシーに乗っていたかどうかで口論になったので、内容を同社に連絡して、応援を求めた。

一〇警察官らの到着

本件事故現場から約二二八メートル日出方面にある別府警察署(<書証番号略>)の交通課の警察官三名(藤井啓明、白石安男、和田)が事故処理車に乗って、二〇時二〇分、本件事故現場に到着した(<書証番号略>)。右警察官は、原告勲及び被告池田に免許証の提示を求めたところ、同被告は忘れて持っていないとの返事で、提示できず、右事故処理車の無線による照会の結果、免許を有していることが判明した(<書証番号略>)。

奈須の右九の応援要請にこたえ、配車指令係員佐藤弘治が自動車を運転して本件事故現場に到着し(<書証番号略>)、初対面であった被告池田に対し、池田車及び同被告の特定のため、免許証の提示を求めたが、同被告は提示できなかった(<書証番号略>)。

一一実況見分の実施

右警察官三名は実況見分を開始したが、本件事故時、原告勲が本件タクシーに乗っていたかどうかで、同原告及び被告池田の指示説明が対立し、激しい口論になったので、警察官らは、後に署で言い分を聞くからと言って双方をなだめ、二〇時五〇分、測定を終えた(<書証番号略>)。

右実況見分において(<書証番号略>)、同原告は、本件第一車線上を時速三ないし五キロメートルで進行中、突然追突されたと指示説明をし、同被告は、同車線上を別紙(1)の図面①の地点で先行車の後部から9.2メートル後方を進行中、②の地点に差し掛かったとき、12.4メートル前方の地点に後部がある本件タクシーに気付き、急ブレーキを掛け、右にハンドルを切ったが間に合わず、地点で、本件タクシー右後部に、自車左前部を追突させたと指示説明をした。

一二原告勲、被告池田の本件事故同夜の供述

警察は、右実況見分終了後、引き続き、原告勲、被告池田、被告安部らを別府警察署に呼び、同原告は、本件タクシーを運転して同署に赴いた。警察官は、それぞれの供述を調書にとったが、内容の概略は、以下のとおりである。

1 原告勲供述(<書証番号略>)の概略

私は、本件第一車線上を本件タクシーを流し運転して、乗客を探しながら時速三、四十キロメートルで進行中、本件事故現場付近に差し掛かった際、進路約十メートルの左前方歩道上に、老夫婦の二人連れを発見し(同歩道上に他の歩行者はいなかった。)、両名が乗客になるかもしれないと思い、ブレーキペダルに足を乗せて減速し、時速三〜五キロメートル位で両名の横付近を過ぎて四、五メートル通過したとき、突然、後ろから追突され、一、二分して、車から降り、池田車から降りていた被告池田と顔を合わせたが、顔見知りであった。同人は、「私が悪いから全部弁償します。乗っているのは女房と子供だ。客が乗っていなくてよかった。客からムチウチと言われたら困るんじゃったになあ。」と言った。私は、電話してくると言って、ラーメン店十五万石にある公衆電話まで出掛け、そこから勤務先あて電話し、事故にあったこと、その場所を告げた。右二人連れは、他のタクシー(みなとタクシーか泉都タクシー)に乗って大分方面に立ち去った。

2 被告池田供述(<書証番号略>)の概略

私は、本件第一車線上を池田車を運転して、時速四〇キロメートルで先行する白色の自動車の後ろを追従し、別紙(1)の図面①の地点(以下の地点は、いずれも同図面上のもの。)に来たとき、先行車が方向指示器もあげずに突然第二車線に進路変更したので、変な運転をするなと思いながら①地点から6.5メートル進行した②地点に来たとき、進路前方一一メートルの地点に本件タクシーの後部があるのを発見し、とっさにブレーキをかけ、ハンドルを右に切ったが間に合わず、自車左前部を同タクシー右後部地点に追突させた。私は、大変なことをしたと思い、すぐドアを開けて謝りに行こうと三メートルばかり歩いて、同タクシーの中を見たところ、誰も乗っていなかったので、運転手は客を呼びに行っているのだろうと思っていたところ、歩道上の地点に立っていた男(原告勲のこと)が、「あっ、ぶっつけたな。」と大声で言ったので、そちらへ行き、「私が全部弁償します。」と言ったところ、男は、「あんたの車の前を走っていた車が急いで進路変更するのも悪いわな。」と言った。男は、顔見知りであり、私を知っていた。そして、三、四分立ち話をした後、男は、「このまま立っていると寒いから。」と言って同タクシー運転席に乗り込み、私は、自車を五、六メートルバックさせ、ガラスの破片を片づけていたところに観光交通(株)の事故係が来て、その直後、警察官三名がやって来た。実況見分が始まると、男は、本件事故時、同タクシーに乗っていたと言い始めたので、私は嘘をいうのに腹が立ち、「嘘言うな。」と言って、大声で口論となった。

一三タコグラフチャート紙の領置

警察官は、本件事故時、本件タクシーが停止していたかどうかを同タクシー備付けのタコグラフチャート紙により確認すべく、同日二三時一〇分、同タクシー後部及び池田車前部並びにタコグラフを写真撮影し(<書証番号略>)、タコグラフチャート紙の任意提出を受け、二三時一五分、これを領置した(<書証番号略>)が、同チャート紙上の時刻は、九分進んでセットされていた(<書証番号略>)。

第四タコブラフチャート紙の解読による本件事故発生前後の本件タクシーの走行状態

一はじめに

<書証番号略>によれば、タコグラフとは、自動車の時時刻刻の運行状況を自動的に記録する計器である(速度計と時計を組み合わせ、時計機構にチャート紙を取り付けられるように工夫し、このチャート紙が時計の動きに同調して同一方向に回転する。チャート紙には、記録針が接触して、自動車の運行に応じた刻刻の瞬間速度、走行粁、走行時間などが、タコグラフ駆動軸を通じ、連続的に記録されるようになっている。)が、本件タクシーのタコグラフは、時速二〇キロメートル以上は速度が正確であるが、チャート紙上、時速ゼロと時速二〇キロメートル間にはある間隔があるので、その間の時速を読むことも可能である、したがって、チャート紙上、時速ゼロから時速三キロメートルになっていれば、車は動いていたであろうということは分かるが、それが時速二〇キロメートル未満のどれ位かは分からない(<書証番号略>)、車の時速が一定程度にならないと、右記録針は立ち上がらず、また、車の時速が一定程度になれば、右記録針はゼロの位置を示すが、これらは、平均的には時速一〇キロメートルで、それ以下になると、チャート紙上はゼロを示すことになるから、チャート紙上の時速ゼロは、車が停止していた状態か、又は時速一〇キロメートル以下で走行していたかのいずれかを示すが、どちらであるかは判読できない(<書証番号略>)、時速六〇キロメートルの箇所では、一秒の時間がチャート紙上三ミクロン(千分の三ミリメートル)に相当するから、五〇倍の顕微鏡による解読作業でも一、二秒の測定誤差があり(<書証番号略>)、チャート紙上の走行距離は、一定時間帯における平均時速に時間を乗じて算出する仕組み(<書証番号略>)であるから、必ずしも正確とはいえない、以上のとおり認められる。

二右一のように、正確性上の限界があることを前提にして、右<書証番号略>によれば、

1  本件タコグラフチャート紙上の二〇時〇二分(正しい時刻は、これより九分前の一九時五三分。括弧内の時刻は、以下同じ。)、原告勲は、本件タクシーに乗務した。

(なお、<書証番号略>)によれば、原告勲は、本件事故当日、夕食をとった後、NHK総合テレビ番組「減点パパ」の終わりころの二〇時前ころ、同タクシーに乗務して肩書住所地の自宅を出発し、本件事故現場に差し掛かったことが認められ、<書証番号略>によれば、右自宅から本件事故現場までの道のりは約二一五〇メートル、<書証番号略>によれば、右チャート紙上、同タクシーが動き出してから、本件事故現場までの走行距離は二二四一メートルとそれぞれ認められるから、同チャート紙解読の誤差を考慮に入れても、同チャート紙上の時刻二〇時〇二分(正しい時刻は一九時五三分ごろ)が、原告勲のいう自宅出発時刻であると推認できる。)

2  同チャート紙上の二〇時〇六分(正しい時刻の一九時五七分)、同タクシーは時速〇キロメートルから時速五〇キロメートルに加速して二四秒間で一六八メートル走行し(<書証番号略>)、

又は、二六秒間で一八二メートル走行し(<書証番号略>)、

3  引き続いて、時速五〇キロメートルから時速〇キロメートルに減速しながら七秒間で四九メートル走行、時速〇キロメートルから時速三キロメートルに加速しながら八秒間で五メートル走行、時速三キロメートルに達したスピード記録線はスピードの基準零線にほとんど垂直(瞬間的)に急下降し、時速〇キロメートルに至り(<書証番号略>)、

又は、時速五〇キロメートルから時速二六キロメートルに減速しながら八秒間で八五メートル走行(<書証番号略>)、同チャート紙上、時速二六キロメートルに減速した線は、車の急減速処置(急ブレーキのこと。<書証番号略>)によりスピードの基準零線にほとんど垂直(瞬間的)に急下降し、時速〇キロメートルに至り(<書証番号略>)、その点に、いわゆるハネ上がり記録が表示されている(<書証番号略>)。

4  引き続いて、同チャート紙上の二〇時〇六分三九秒(正しい時刻の一九時五七分三九秒)から四四分一〇秒間、同チャート紙上の二〇時五〇分四九秒(正しい時刻の二〇時四一分四九秒)まで減速し、駐車した(<書証番号略>)。

5  右3にいうハネ上がりとは、記録針が急激に落ち、下のストッパーに当たった衝撃で上にちょこっとハネ上がる場合と、加速がついた結果、記録針が立ち上がる場合とが考えられるが、本件チャート紙上、いずれかは分からない(<書証番号略>)。

6  本件タクシーのタコグラフチャート紙上から、本件事故発生時刻を解読することはできない(<書証番号略>)。

以上の事実が認められる。

三また、<書証番号略>によれば、いわゆるハネ上がり記録が表示されている箇所は、右チャート紙上、右二、3の箇所のみならず、他の箇所にも見られることが認められるから、右二、3の箇所のそれが、加速がついた結果、記録針が立ち上がった場合に当たるとも断定できず、したがって、同箇所が、本件事故発生時刻であることを推認させるということもできない。

ところで、前記第二の一認定の本件事故現場付近の状況から推せば、本件第一車線上をタクシーが時速一〇キロメートル以下で長時間走行するとは考えられないから、右二、4の四四分一〇秒間のうち、減速した時間は僅かで、大部分が駐車時間であると認められる(<書証番号略>)。

四そうすると、争点1に関する原告勲の主張が採用されるためには、本件事故が一九時五七分三九秒ころ発生したということがいえなければならない。

第五本件事故発生時刻の確定について

そこで、他の証拠により、本件事故が、一九時五七分三九秒ころ発生したということがいえるかどうかを、以下検討する。

一原告勲が、観光交通(株)に本件事故の報告をした時刻

標記時刻についての関係者の供述は、以下のとおりであり、これらからその正確な時刻を確定することはできない。

1  今村政治は、<書証番号略>により、二〇時ごろと思うと供述しながら、<書証番号略>では、右時刻については確認していない旨供述している。

2  佐藤幸雄は、昭和五六年一二月二二日、原告勲から標記時刻の確認を求められ、一九時五五分ごろから二〇時ごろと思う旨メモした「事故報告について」と題する文書(<書証番号略>)を同原告に交付した(<書証番号略>)が、<書証番号略>では、その時刻は、事故報告の時刻ではなく、事故発生時刻の趣旨であり、その時刻は二〇時前後ごろ(四、五分の誤差がある。)と思う、二〇時を少しまわっていたような気が強い旨供述している。

二本件事故発生の一応の推定時刻と問題点

1 前記第三の一認定の事実から推して、本件事故が発生してから、原告勲と被告池田の右会話を開始するまでの時間は、どんなに長くても、一分以上かかったとは認め難く(被告池田は、本件事故後、本件タクシー運転席に行くまでの時間につき、<書証番号略>では、七〜八秒と、<書証番号略>では三〇秒と、<書証番号略>では一分まではかからなかったと供述する。)、本件事故直後の原告勲と被告池田間の会話は簡単な内容で、右会話時間は、二、三分(<書証番号略>)、長くても四分以内(<書証番号略>)であったと推認されるところ、前記第三の二ないし八認定の事実によれば、別府警察署が、佐藤幸雄から本件事故の届け出を受けた時刻は二〇時一三分、再現した実況見分の結果では、本件事故現場から右ラーメン店までの歩行による片道の所要時間は一分二七秒(<書証番号略>)、今村が、原告勲の本件事故報告の電話を受けてから佐藤幸雄が別府警察署に本件事故を届け出るまでの所要時間は七分二六秒かかったのであるから、右実況見分による経過時間が正しいという前提で、参考までに逆算すれば、一九時五九分〇七秒(計算は、二〇時一三分―七分二六秒―一分二七秒―四分―一分=一九時五九分〇七秒)から二〇時〇一分〇七秒ころの間に本件事故が発生したとの一応の推定ができる。

そうだとすれば、前記第四の三に説示のとおり、本件タクシーは、一九時五七分三九秒から四四分一〇秒間(二〇時四一分四九秒までの間)、ほとんどを駐車していたものと推認されるから、本件事故時、同タクシーは駐車していたことになり、本件事故がおきた時刻には、原告勲が本件タクシーに乗って流し運転していたとの同原告の主張は採用し難いことになる。

2  本件事故発生時刻についての供述内容

標記時刻について、原告勲(<書証番号略>)及び被告池田(<書証番号略>)とも、本件事故日の警察官の取り調べでは、二〇時五分ころと供述しており、原告勲の昭和五七年二月一〇日付け告訴状(<書証番号略>)でも、同時刻になっているから、これらの供述を前提にすれば、本件事故がおきた時刻には、原告勲が本件タクシーに乗って流し運転していたとの同原告の主張は採用し難いことになる。

3 右1、2によれば、本件事故時、原告勲が本件タクシーに乗車していたことを肯認することは困難といわなければならないが、右1の推定には、本件事故当日の関係人の行動が右実況見分と同一であったことを確認すべき術がない点で問題がないわけではなく、前記第五の一、2で説示したとおり、本件事故報告時刻についての佐藤幸雄作成のメモ(<書証番号略>)及び同人の供述内容を合わせ照らすと、その感は否めない。

そして、前記第一の説示によれば、争点1に関する原告勲と被告池田の各供述の信用性は、核心部分(特に、本件事故直後の原告勲と被告池田の動静)についての、同原告と被告らの供述の信用性と裏腹の関係にあると解されるので、さらに、この点を検討する。

第六本件事故直後の原告勲、被告池田の動静に関する供述

一原告勲の供述

原告らは、本件事故時、原告勲は本件タクシーに乗っていたと主張するが、原告勲の本件事故直後の供述内容(<書証番号略>)は前記第三の一二、1のとおりであり、このほかの供述証拠は以下のとおりで、その内容は、いずれも右内容とほぼ同じであるが、本件事故直後の原告勲、被告池田の動静に関する供述内容の大要は、「私は、衝突したショックで、腰と後頭部に痛みがあったのでしばらく車内におり、すぐには外に出なかった。後ろを見ると、相手の車はバックしていたので、私は車から降り、一、二歩、行きかけたところ、相手が私のところに来た。」というにある。

<書証番号等省略>

二被告池田の供述

同被告の本件事故直後の供述内容(<書証番号略>)は前記第三の一二、2のとおりであり、このほかの供述証拠は以下のとおりで、本件タクシーに誰も乗っていなかったことを確認した内容はいずれも右とほぼ同じであり、核心部分の、本件事故後、被告池田が池田車を降りて同タクシー運転席ドア付近に行って誰も乗っていないことを確認し、その後、原告勲を歩道上に発見し、同人の所に向かうまでの言動についての供述内容の大要は、「私は、追突後、被告安部と有利に大丈夫かと声をかけ、大丈夫な様子を確認し、追突された車の運転手に謝らねばと思って降車し、本件タクシー運転席側に行ったが、乗客も運転手も乗っていなかった。それで、いったん自車に戻り、助手席の被告安部に誰も乗っていないと言い、再度、同タクシー運転席側に戻り、周囲を見回したところ、すぐ脇の歩道上の街路樹の所に男(原告勲のこと)が立っており、「あっ、ぶっつけたな」、「わしの車じゃ」などと言うので、私は、その男が同タクシーの運転手と思い、同人の所に歩いて行った。」というにある。

<書証番号等省略>

三被告安部の供述

同被告の本件事故直後の状況に関する証拠は以下のとおりであり、同被告は、池田車の助手席に乗っており、本件事故直後、本件タクシーの中を池田車から覗いたとき、誰も同タクシーには乗っていなかったと供述するが、核心部分に関する供述内容の大要は、「私は、被告池田が、追突後すぐ池田車から降りて本件タクシーの運転席側に行くのを見て、同タクシーに誰か乗っているだろうかと思い、中を見たが、乗客も運転手も乗っていなかった。しばらくして、パチンコ店ジャンボタイホーの方から、東側歩道上を池田車の方に歩いて来る男(原告勲のこと)の所に被告池田が行き、両名が歩道上で立ち話を始めた。」というにある。

<書証番号等省略>

四被告鶴田の供述

同被告の本件事故前後の状況に関する供述証拠は以下のとおりであり、本件事故直後、本件タクシーの中を西側歩道上から見たとき、誰も本件タクシーには乗っていなかったと供述するが、核心部分に関する供述内容の大要は、「私は、本件事故現場付近の西側歩道を大分方面から日出方面に向けて歩行中、パチンコ店ジャンボタイホー前に駐車している観光交通(株)のタクシーを発見し、同車に乗ろうと見ていたら、本件第一車線上を日出方面から大分方面に進行する白い乗用車が急に進路変更して同タクシーを避けていき、すぐ後ろの乗用車(池田車のこと)は同タクシーを避けきれず、右後部に追突し、すぐ、男(被告池田のこと)が同タクシー運転席の側に行き、中を覗き込んでいたが、池田車の方を見て、右手で左右に振って誰も乗っていないことを示すようなジェスチャーをしていた。やがて、東側歩道上から歩いてきた観光交通(株)の運転手らしい男(原告勲のこと)が、「俺の車にぶつけた。」と声をかけ、同人の方に被告池田が歩いて行き、立ち話をしていた。言い争っているような気配ではなかったので、私は、別のタクシーに乗って帰った。」というにある。

<書証番号等省略>

第七原告勲の供述の信用性

一右供述の信用性を補強する事情

本件事故時、原告勲が本件タクシーに乗っていたという同原告の主張を補強する事情として、以下の事実が指摘できる。

1 被告池田の主張によれば、原告勲は、いわゆる幹線道路の、駐車禁止場所である本件第一車線上のほぼ中央付近(東側歩道端から1.46メートル離れた場所)に本件タクシーを駐車させたまま、同タクシーから離れていたことになるところ、本件事故現場の東側道路脇にはパチンコ店ジャンボタイホーの駐車場があり、同駐車場の北側には本件第一車線に東からT字型に交差する5.4メートル幅の道路があり(前記第二の一、二参照)、かつ、本件事故現場は、<書証番号略>によれば、タクシーを駐車させたまま乗客を探す、いわゆる客引きにも不適当な場所であることが認められることにも思いを致すと、やや奇異の感がしないでもない。

2 前記第六の一ないし三の各証拠によれば、本件事故は、池田車の先行車が、本件タクシーに衝突しそうになり、急ブレーキをかけて避けて行ったところ、後行する池田車が同タクシーを避けきれず、発生したことが認められることからすれば、走行中であった同タクシーが、急速に減速、徐行したため、右先行車のような動きになったのではないかとの推測も可能である。

3  原告勲(大正一二年七月二〇日生)は、本件事故当日の警察の取調べ終了後の二三時三〇分ごろ、別府中央病院内田孝医師に、本件事故のため首と腰が痛いと訴えて診察を受けたが(<書証番号等省略>)、同医師の目には、タクシー運転手としての業務に耐えるには無理ではないかと思われる程度の痛みであったと認められる(<書証番号略>)。

4  原告勲は、本件事故の翌日、野上外科医院の野上義雄医師に、本件事故のため首と腰が痛く、首が重いと訴えて、診察を受け、頸部捻挫、腰部捻挫の傷病名で治療を受け、昭和五六年一二月二二日入院を開始し、昭和五七年二月四日退院し(入院日数四五日)、退院後の同月五日から同年三月末日まで通院したことが認められる(通院実日数合計二五日)(<書証番号等省略>)。

5  原告勲は、柴田圭一弁護士を代理人として、昭和五七年二月一〇日、被告池田を業務上過失傷害罪で別府警察署に告訴したことが認められる(<書証番号略>)。

6  前記原告勲及び被告池田、同安部の各供述証拠によれば、本件事故当時、パチンコ店ジャンボタイホー付近を歩いていた老齢の男女二人連れがいたことが認められるが、原告勲は、本件事故の翌朝又は二二日の未明(午前二時ころ)、組合関係で知り合いのOBS放送(大分放送)のアナウンサーの池本に目撃者探しの方法がないかどうか尋ねる電話をし、後日、同人に会って、ラジオかテレビで目撃者を探す方法がないかどうかを問い合わせ、警察が捜査しているのでしにくいと言われ、できなかったことが認められる(<書証番号略>。ただし、<書証番号略>では、右池本に直接お願いしたわけではないと供述している。)。そして、昭和五六年一二月二十五日、六日ころ(<書証番号略>)、依頼していた広告が、昭和五七年一月一一日付けの大分合同新聞朝刊第七面の「暮らしのアンテナ」欄の「さがしています」欄に、「目撃者…一二月二〇日、夜八時ごろ、別府市若草町のパチンコ店前で徐行していた私のタクシーが自家用車に追突されました。その事故処理のために目撃者をさがしています。パチンコ店付近を歩いておられ、十五万石ラーメン店前からタクシーに乗られた二人連れの方、そのタクシーの運転手の方、連絡を。(別府市中須賀東町六―一、タクシー運転手、下薗勲、09777838)」(<書証番号略>)と掲載され、原告勲も、退院後、タクシー会社に当たり、右二人連れを乗せた運転手がいないかどうか探したが、分からなかったことが認められる(<書証番号略>)。

二右供述の信用性を減殺する事情しかしながら

1  右1の点について

昭和五八年一二月一八日(日曜日)大分地方裁判所実施の本件誣告被告事件における検証の結果(<書証番号略>)によれば、一九時五五分から五八分までの三分間における日出方面から大分方面に向けてのタクシーの通行数は、三台(実車二台、空車一台)であったと認められることからすれば、本件事故現場付近車道上の、本件事故がおきた日時ごろの時間帯の交通量は余り多くないことが推認され、特に第一車線の交通量は、通常でも、第二、三車線のそれに比較して多くないことも認められるところ(<書証番号略>)、人の行動に予測不可能な事情があることも日々経験するところである(いうまでもなく、原告勲が、本件タクシーを止めて同車から離れるべき事情があったかどうかにつき、被告らに証明責任はない。)。

2  右2の点について

池田車の先行車が前方を注視しなかった結果にすぎない可能性もある。

3  右3の点について

内田孝医師は、診察後、原告勲から本件事故による旨の診断書を書いて欲しいとの要求を受けたが、観光交通(株)から、前もって、同原告が本件事故時、車に乗っていなかったという人もいるので慎重に判断して欲しいとの連絡があっていたし、診察結果でも、頭と首のレントゲン写真上及び超音波診断上、異常所見は見当たらず、触診では首と腰に痛みを訴え、不自然ではなかったが、同原告は、昭和五〇年から五一年にかけて交通事故により入院していたことがあり、加齢的(同原告は当時五八才)な痛みの可能性等も総合考慮の上、本件事故によるものか、私病、神経的なものか判断がつかず、腰や首が痛いというだけなら書いてもよいが、本件事故によるものとは書けないと説明して書かず、診療録には、傷病名として、頸腰痛症、陳旧性偏頭痛(古い原因に基づく偏頭痛のこと)と記載し、同日は鎮痛消炎剤の注射と内服薬三日分を投与したことが認められる(<書証番号略>)。

4  右4の点について

野上義雄医師は、同月二一日、原告勲を診察し、レントゲン写真上、異常を認めなかったが、触診の結果、頸部(後部)痛、腰部の圧痛並びに動かすと痛みを訴えたので、入院の必要性まではないと判断し、これらの痛みを和らげる鎮痛消炎剤の内服薬を投与したのであるが、翌二二日、電話で気分が悪い、ベッドが空いていれば入院したいとの強い希望を受け、同日、入院させたことが認められる(<書証番号等省略>)。

5  右5の点について

被告池田も、昭和五七年三月九日、原告勲を誣告容疑で告訴したことが認められる(<書証番号等省略>)。

6  右6の点について

老夫婦風の二人連れが現れるかどうか、仮に現れたからといって、原告勲の主張事実を肯定することにはならない可能性も十分に考えられる。

7 本件事故時、原告勲が本件タクシーに乗って走行中であったということによって、同原告は、被告池田に対し、休業補償、慰謝料等の損害賠償を請求できる利益を有するのみか、駐車違反(前記第二の一のとおり、本件事故現場は駐車禁止となっている。)という道路交通法施行令による基礎点数を付されない利益を有することになり、一般的にいって、いずれも、タクシー運転手たる同原告にとっては無視しえない利益であると解される。

8 前記第六の一の原告勲の供述証拠を子細に検討しても、本件事故直後の同原告の動静は明らかでなく、また、本件事故直後、腰と首筋に痛みがあったといいながら、被告池田と顔を会わせて話をしたとき、そのことについて訴えたとは認められず、かつ、前記第三の三に認定したとおり、同原告が、本件事故の第一報を電話で今村に入れたときも自己の怪我について話さず、追突事故に遭った旨を報告しただけであるというのは、不自然である。

以上の点を彼此考慮すれば、原告勲の供述の信用性に信をおくことができるかどうかは、被告らの供述の信用性にかかってくるものといわなければならない。

第八被告らの供述の信用性

一右供述の信用性を減殺する事情として、以下の問題点が指摘できる。

1 前記第六の二ないし四の証拠を子細に検討すると、本件事故直後、被告池田が本件タクシーの所に行って中を覗き、誰も乗っていないことを確認し、池田車に戻った後、そのことを、被告安部と有利に喋ったのか、単にジェスチャーで示しただけなのか、相違点が認められる。

2 前記第三の一に認定した、本件事故直後の原告勲との会話の中で、被告池田が、同原告に対し、「満点じゃ」と答えたのは、道路交通法施行令三三条の二第一項一号にいう累積点数が零であったことを示す言葉と解されるところ、証拠(<書証番号略>)によれば、同被告は、昭和三一年普通一種免許を取得したが、昭和五一年三月一七日、一年間の免許取消処分を受け、昭和五二年二月二二日、普通乗用車の無免許運転により、昭和五四年八月三一日、一種原付自転車の無免許運転により、それぞれ、別府簡易裁判所において、罰金の有罪判決を受け、確定していること(<書証番号略>)、昭和五五年九月三日普通一種免許を取得し、同年一一月二七日指定速度超過(二〇キロメートル未満)により一点、同年一二月一八日指定場所一時不停止により二点、同年一二月二二日指定速度超過(二〇キロメートル未満)により一点の基礎点数が付され、本件事故当時(昭和五六年一二月二〇日)、累積点数が四点となっていた(<書証番号略>)から、同被告が、右会話で、免許証の点数が「満点じゃ」と答えたのは間違いであったこと、しかも、本件事故が、本件タクシー走行中の事故であれば、被告池田に安全運転義務(道路交通法七〇条)違反があったと認定されて、同違反行為に基礎点数二点が付され(同法施行令別表第一の一)、かつ、同事故はもっぱら同被告の不注意によって発生したものと認定されて、同原告の身体を傷つけたことによる治療期間が三〇日以上であれば、付加点数九点が付され、累積点数一五点となって免許取消処分(道路交通法一〇三条二項、同法施行令三八条一項一号イ、別表第二の前歴がない者の第四欄)と一年間の免許欠格期間(同法一〇三条六項、同法施行令三八条二項、別表第二の前歴がない者の第四欄)を受けることになりかねず、仮に、治療期間が三〇日未満であっても、事故による付加点数六点が付され(同法施行令別表第一の二)、累積点数一二点となって免許効力停止処分(道路交通法一〇三条二項、同法施行令三八条一項二号イ、別表第二の前歴がない者の第五欄)を受けることになりかねなかったと認められるから、同被告にとって、本件事故が人身事故でないことによる利益は無視しえないものがあったと認められる。

3 前記第三の一〇認定のように、被告池田は、本件事故当時、免許証を提示できなかったのに、<書証番号等省略>では、携帯していたなどと虚偽の供述をしている。

4  目撃証人たる被告安部(昭和二三年二月五日生)は、有利の家庭教師を長年にわたってしてきた者であり、本件事故当日、勉強を教えた後、有利の皮膚が痒いとの訴えから、被告池田が右両名を連れて、温泉(公衆浴場)に行った後の帰宅途中の事故であり、同被告と被告安部は相当親しい関係にあったのではないかとの疑いをかけられる余地があるから、被告安部の、本件事故に関する供述に信をおくことができるかどうか疑問がないわけではない。

5  被告鶴田が本件事故に関する目撃証人として登場してきた過程につき、同被告を昭和五六年一二月二六日ごろ乗車させた観光交通(株)のタクシー運転手西村義信が、同被告から聞いた話として、「わしは、女と二人でパチンコ店ジャンボタイホーに行ったが、ちょうど休みであり、そこを出たとき、目の前で本件事故を見た。」旨供述しているところ(<書証番号等省略>)、同パチコン店は、昭和五六年一二月一五日開店し、本件事故当日は一〇時より二二時まで営業していた(<書証番号等省略>)から、西村供述が正しいとの前提に立つならば、被告鶴田の供述は、根底から覆ることになる。

二しかしながら、右減殺事情を更に減殺する事情として、以下の点が指摘できる。

1  右1の点について

同事情は付随事情ともいうべき事柄(少なくとも、核心的事実に関するものではない。)についての記憶の相違にすぎないとの理解も十分可能であり、被告らの供述が一致していないからといって、供述事項と供述時期から判断して、この点の相違を過大に評価するのは相当でない。

2  右2の点について

直近の違反行為が昭和五五年一二月二二日であり、本件事故時(昭和五六年一二月二〇日)、既に一年が経過していたと誤解していた(道路交通法施行令三三条の二第二項一号参照)ことから、誤った答えをしたとの被告池田の弁解(<書証番号略>)もそれなりに理解できないではない(もっとも、同被告は、有限会社池田塗装の代表者として、一五人の従業員を使っている経営者であり(<書証番号略>)、運転ができなければ、仕事に大きな差し障りがあるから、交通違反、交通事故と基礎点数、累積点数については、大きな関心を有していたはずであり、同弁解を素直に信用するには、慎重さが望まれるが。)。

3  右3の点について

右3の各供述は、いずれも、本件事故直後の供述ではなく、しかも、本件事故当時、別府警察署においては、免許証不携帯でも、免許を有していることが明らかになれば帰って取ってくるよう指導し、すべてを事件として立件する方針でもなかったところ、現に、被告池田は、免許証を提示できなかったので、自宅におき忘れているものと考え、それを取りに、いったん自宅に帰ったものの、池田車に置いていたことが判明し、これを後に警察官に提示したと供述し(<書証番号等省略>)、これについては、警察も不問にしたのであるから(<書証番号等省略>)、後日の本件誣告被告事件の弁護人柴田圭一の尋問において、被告池田が、本件事故当日、免許証を携帯していたと供述した(<書証番号等省略>)としても、あながち責めることもできず、この点を強調して、同被告の供述の核心部分の信用性に影響があるとまで評価するのは速断にすぎる。

4  右4の点について

そういう可能性があるというだけであり、この点を過大評価すると真実を見誤ることがあるのは、しばしば経験するところである。

5  右5の点について

西村供述が正しいとの前提を採りうるかどうかが問題であるところ、前記第六の四の被告鶴田の各供述に照らし、右前提を採りうると断定することも困難である。

6  被告池田は、本件事故当時、池田車を被保険自動車として、日本火災海上保険株式会社の自動車保険に加入しており、その内容は、保険期間は昭和五六年三月二〇日より昭和五七年三月二〇日までの一年間、保険金額は対人賠償につき一億五〇〇〇万円、対物賠償につき五〇〇万円、自損事故につき一四〇〇万円等であった(<書証番号略>)から、同被告にとって、原告勲が本件タクシーに乗車していたということによって受ける行政処分(免許証の基礎点数、付加点数を付されることをも含む。)及び刑事処分上の利益はあるとしても、本件事故態様からして、同原告に対する損害賠償に関する限り、右保険で十分にまかなえ、このことは、同被告も認識していたと認められる(<書証番号等省略>)。

三以上のように検討してくると、核心的部分に関する被告らの前記第六の二ないし四の各供述が、虚偽であって信用に値しないと断定することは困難である。

第九まとめ

以上の認定、判断を総合すれば、本件事故時、本件タクシーに乗っていたとの核心部分に関する原告勲の供述部分が客観的事実に合致していると認めるのは困難であるというほかないところ、前記第一で説示したとおり、争点1(本件事故時、原告勲が本件タクシーに乗っていたこと)に関する原告らの主張についての証明責任は原告らが負担する以上、同主張につき心証を採りえないことによる不利益は原告らが負うことになる。

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないから、棄却する。

(裁判長裁判官簑田孝行 裁判官大泉一夫 裁判官石井久子)

別紙(1)

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